コラム

「マオ」

米国の出版事情はよく知りませんが、「気骨」「巨像も踊る」「icon」などを読んで感じていた冗長性は、印税がページ単位で支払われているのではないかと疑われるくらいでした。
それに加えて古代から長編には定評のある中国(人)の作家、ユンチアンの作品ということで「斜め読み」覚悟でとりかかりましたが、どのページも飛ばさずに読み切りました。
ユンチアンの前作「ワイルドスワン」は途中で投げ出して、読み切っていないことからもこの「マオ」がおもしろかったことがわかります。
毛沢東は、現在の中国では完全に「封印」されているらしいのですが、共産党の一党独裁が崩れるときに歴史的決着がつくのでしょう。
この本で恐ろしいのは、毛沢東が自国民の生命を単純な資源と考えてそれを浪費しつくそうとしたことです。
資本の蓄積のために労働を搾取するというような「甘い?」考えではなく、命そのものを搾取してしまうのです。
マーケティングマネジメントで使う「人的資源」という用語が使いづらくなるような所業です。
戦争での戦略立案には「人的消耗」と言って兵士の消耗(死亡、けが)をあらかじめ計算するそうですが、毛沢東のそれは消耗ではなく「蕩尽」であり戦争を越えた狂気です。
しかも、その目的が自分の権力の維持拡大だけで、国家の未来像も中国文化への理解もなかったとユンチアンに主張されては、中国国民の「立つ瀬」はなくなります。
もうひとつ、この本を読んでわかることは、現在の北朝鮮の態度が当時の毛沢東とよく似ていることです。
自分で危機を作りだし、それを理由にわがままを通す、要求を通すという行動パターンは単純そのものです。
独裁者のこのような単純な行動を「複雑に」考えてしまうのが民主主義の弱点でしょう。
戦争と革命の20世紀を本当に終わらせるには、もう1回か2回のイラク戦争が必要なのかもしれません。

2006,7

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