コラム

「数学する遺伝子」

マーケティングリサーチ関係者には「数学コンプレックス」が多いようです。
もちろん、自分もそうでして、リサーチ会社に入社早々の研修で統計の参考書を渡され、開くと数式だらけで「間違った場所に来た」と後悔したことを憶えています。
実際の業務が始まってしまえば、数式が理解できなくても何の支障もないので忘れてしまうのですが、アレルギーの発作のように定期的に数学コンプレックスがわき上がって来てそのたびに大村平先生の本を買いそろえていきました。
さらに、数年後は英語もアレルゲンとなり間歇的に英会話のテキストを買っています。
よいかわるいか、両アレルギーとも仕事生命に関わるほど重症ではないため、対処療法のみで一生、克服できそうにありません。

というような心理的背景があるので「数学する遺伝子」というタイトルに惹かれて読みました。 読んでも「数学が何故できないか、どうしたら出来るようになるか」がわからなかったの当然です。わかったことは、

  • 数や計算と数学的思考は違う。
  • 数学するとは、抽象の世界に入り込むことである。
  • ヒトが抽象の世界に入りこめるのはコトバを獲得したからである。
  • ホモサピエンスの脳は7万5000年前から20万年前の間にコトバを獲得した。
  • コトバ(統語)の基本構造は全言語共通である。
  • (数学者が)数学するときはコトバは使わない。

ということです。
現生人類が他の生物、類人猿、原人とどう違うのかというとコトバを使って抽象思考ができることです。
動物にも「意識」はあるらしいし、原型言語(ビッカートン)も使うが、抽象思考はできない。
原型言語とは「鹿(獲物)、後ろ(いる)」というようなオブジェクト指向の表現です。
原型言語は、著者デブリンが言う抽象レベル2の段階の思考で、ヒトの2歳児は確実にできるし、チンパンジーもできるらしいとされます。
抽象レベル3の思考からはヒトしかできないとデブリンは言います。
抽象レベル3の思考とは実在物がなくても想像上の実在物(例えば龍や河童)、その変形に関しての思考ができることで、原型言語よりも複雑な構造をもった言語の獲得と同時に出来るようになったとしています。
この思考ができるかできないかが人類と他の動物との境界線です。
抽象レベル4の思考からが数学的思考の始まりだそうです。
レベル3までが持っていた実世界とのつながりが全くなく思考の対象は全て抽象です。
コトバもなく、抽象概念同士の関係性を思考することが「数学する」ことだそうです。
(抽象レベル1の思考とは、全て実在物を思考の対象とします。)

著者は、コトバを獲得した遺伝子は全人類共通に(種として)持っているのだから誰でも抽象の世界に入り込めるし、だれでも「数学できる」と主張します。
ここまでは優しい人ですが、「数学する」にはコトバの世界から離れて完全な抽象の世界に入り込むことが必要で、これには強い指向性(意志、関心)と繰り返し行う訓練(努力)を伴うので、人類であれば誰にでもできるということはないと冷たく突き放します。
こうして、数学コンプレックスは不治の病となったのです。
こちらとしては、数学者になりたいわけではなく、数学的知見を仕事に有効に使いたいだけなのですが、今更、抽象レベル4の思考訓練をする気はおきません。

この本は、数学とは直接関係のないチョムスキーの生成文法と構造主義、無意識の問題、進化圧と人類の進化(環境問題)、など多くの示唆を受けられる良書だと思います。

2007,5

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