コラム

「ディープ・スマート(Deep Smart)」は流行るか?

「ハーバードビジネスレビュー」2005年2月号にドロシー・レオナルド、ウォルター・スワップという2人がこのタイトルで論文を書いています。
この「DeepSmart」というコトバに惹かれませんか?
訳者もそうしていますが、「暗黙知」の言い換えと考えてよいようです。

論文の冒頭を引用すると、
―だれかが複雑極まりない況下において、瞬時に決断を下したとしよう。後に、その決断がそこそこ優れていたという程度のものではなく、まさしく素晴らしいものだったことがわかると、「なんて頭がよいのだろう」と関心したりするものだ。その人が同じようなことを繰り返すのを見ていると、特別な何かの存在に気づくはずである。―
これをディープスマートと呼んで、企業は、これを意識的に継承していく必要があるし、これは継承できるものであるというのが、趣旨のようです。

すぐに思いつくのが、「日本の製造現場の匠の技術の継承」です。
「匠の技の継承」は、最近の日経を始めとした「経済マスコミ」の主要なトーンです。
(5、6年前は、製造業は全て中国に移管されというようないきおいでしたが。)
ディープスマートは、職人の勘、現場の知恵、マイスターの熟練、などと解釈して間違いないようですが、マネジメント分野にも拡大されています。
そうなると、暗黙知、EQ指数、先見力などとの言い換えも可能です。
さらに個人ではなく、組織・集団のディープスマートを考えれば、カラー、マインド、文化、遺伝子(DNA)などと呼ばれているものを総括したコトバになりそうです。

今の日産でいえば、「カルロス・ゴーンのディープスマートをいかに継承して、NISSANのディープスマートにまで深めるか」といったことになりそうです。
「ルイスガースナーが持ち込んだ新しいディープスマートはIBMに深く浸透した」といった使い方はいかがでしょうか。

個人でも組織でも分析的な知は大切ですが、それだけでは実践はできません。
巨大吊り橋は完成され・成熟した技術でアメリカで発展してきたものだそうですが、今や、新規建設だけでなく、ケーブルの掛け替えだけでも日本の会社しかできない状態だそうです。
詳しい設計図があってもだめで、現場のディープスマートが継承できていないと効率的な作業ができないそうです。

こう書いてくると、暗黙知もいいのですが、少し哲学臭が強過ぎて、マーケティング的ではないのではと感じてきませんか。
その点、ディープスマートはカタカナ語であるし、単語そのものはやさしいし、D・Sと略しても何となくさまになるし、いかにもマーケティング的ではないでしょうか。
流行りませんか?

ところで、マーケティングインタビューでのディープスマートは何でしょうか?

2005,2

ページのトップへ