コラム
クルマ離れとは
確かなデータがあるのかよく知らないが、若者のクルマ離れが言われるようになってからだいぶ時間がたつ。
若者のクルマ離れは、日本の経済成長の牽引役だったクルマ産業に陰ることを意味し、日本経済の一層の衰退の予兆や象徴といった趣がある。
なぜ、若者がクルマ離れしたかという議論では
- 若者がクルマ以外の楽しいことを発見した。
- 若者に好まれるクルマがなくなった。
の2つをよく聞く。
ひとつめの理由だが、「クルマよりこれが楽しい!」というものは発見されていないという話が多い。
発見されたと言われるものにも納得性が薄い。
そこで、ふたつめの理由の「クルマが楽しくなくなった」が持ちだされ、結局「よくわからない」となる。
では、クルマに夢中になっていた時代の若者はクルマの何に夢中になっていたのかを考えてみる。
高度成長からバブル期までの若者で、クルマを持っていた方が、持っていない若者より
- スピードとスリルが簡単に味わえた
- 自由が味わえた
- 遠くまで移動できた
- 女の子にもてた
- 仲間から羨ましがられた
のではないだろうか。
アクセルを床にベタっと踏み込んで、ギリギリでブレーキングしてカーブをすり抜ける興奮を普通のオトコの子が簡単に味わえるような時代はなかったのではないか。
バイクもそうであるが、クルマとの一体感とミスすればクラッシュ、大怪我のリスクを自分の感覚と技術ですり抜けたときの快感、征服感は大きなものだったはずである。
まさに、自分(クルマ)を自分でコントロールする自由、家族や地域社会を脱出してどこまでも行ける(はず)自由は借金など背伸びをしても是非手に入れたかった。
こうして背伸びをしきってクルマを手に入れると女の子にもてたはずだが、ここはオトコの子の誤解かも知れない。
普通の女の子はクルマオンチであるし、スピードやスリルへの欲求もオトコの子とは少し違う。(ジェットコースターのような完全に管理されたスリルを好む?)
もてた(と思い込んだ)理由は、
- 移動する(親の監視から離れられる)密室空間
- こういうムダな事に夢中になるオトコの余裕(孔雀の羽根効果)
の2つが女の子から評価されたのではないか。
これらのことが相まって仲間から羨ましがられる優越感にひたれたのであろう。
以上のようなベネフィットを今の若者は、クルマ以外でどのように得ているのだろうか。
若者にとって「楽しいクルマ」がなくなったという意見もある。
楽しくないクルマとは自動化が進んで故障がなくなったクルマのことを言うようである。
自動化は
- オートマチックによってクラッチ操作が不要になると共に「ヒール・アンド・トウ」などのテクニックが消えた。
- パワーステアリングで「ハンドルの内かけ」はバカがやることになった。
の2つが大きいのではないか。
快適にラクに運転できても自分でコントロールする楽しさはなくなってしまった。
(これだったらゲームの方が楽しい?)
故障はない方がよいのだが、自分で修理できなくても「修理のまねごと」もクルマの楽しさだった。
オイル交換、タイヤ交換くらいしかできない今のクルマは電子制御とモジュール化がひとつの極限まできている。
整備士の修理もおかしそうな部分の全交換で済むことが多いようである。
生身のクルマから人形のようなクルマになってしまった。
安全やエコばかりを追求するようになった衰退する日本にふさわしい若者のクルマ離れかもしれない。
若者を「オオカミ」に変身させる商品企画。あるかもしれない。
2012,10