コラム
リサーチャーの変遷
マーケティングリサーチャーという職業は、職業名としてまだ、世間で認められていないかもしれません。
そしてリサーチャーという職業は絶滅の危機に瀕しているかもしれません。
テレビ番組の制作現場で、リサーチャー、一時話題になりましたが、最近は見かけません。
ADという包括的な職業名に吸収?されたのかもしれません。
マーケティングリサーチの世界のリサーチャーも何かに包括されてしまうかもしれません。
リサーチャーの職業としての扶持は、非科学的、宗教的なマーケティングの世界で自分は「科学的」な方法論によって、マーケティングの世界を分析している、というものです。
このような考え方でマーケティングにアプローチすると次のような職業的パーソナリティができあがります。
- 全体的に「ネクラ」な性格
- スピードよりも精度を追求する
- ひとの話を信じない
- 自らマーケティングの世界には入らない
ネクラな性格は、全ての結果から出てくるパーソナリティですのであとまわしにします。
スピードと精度ですが、彼らはオーバースペックが大好きです。
自分の調査が、抽出理論に基づき、厳格なフィールドコントロールを行い、最高レベルの分析ソフトウエアによって分析されたものであるかどうかが職業的な「こだわり」になります。
リサーチ結果がマーケティングにどのように役だったか、役立つかは二の次、三の次になりがちです。
それは、人の話を信じないからです。
「この新製品を是非買いたい」という消費者の回答から、コトラー先生の言うことまで「取りあえず、疑う」習慣が身につきすぎてしまったのです。
それも、消費者の声にも、マーケティングの「先生」の話にも何度もダマされてきたからしかたないかもしれません。
だったら自分で自分でマーケティングをやってみるか、マーケティング理論を考え出すか、どちらかですが、どちらにも手を出しません。
さきに述べた「職業的扶持」意識が邪魔をするし、決断力も鈍ってくるのです。
科学的方法論に固執するあまり、解答が出るまで動かない。だから、人に先を越される。
人がやったことを「分析」するのが自分の仕事と思うようになり、自ら「動く」ことはさらに難しくなる。
ここから「明るい」パーソナリティを導き出すのは無理でしょう。
以上は、私の「偏見に満ちた」リサーチャー像ですが、そんなリサーチャーも消えゆく運命にあります。
マーケティングの多様化、重層化に今述べたような態度では、「現実」について行くこともできません。
また、ネットリサーチの普及によって、マーケティングリサーチそのものが変化してきています。
特にネットリサーチの普及は、リサーチャーの職業的扶持を揺さぶり続けています。
従来リサーチャーのネットリサーチ批判は、旧守勢力の遠吠えとなりつつあります。
最大の批判は、「ネットには代表性がない。」というものですが、リサーチのクライアントは「そもそも代表性を求めていない」ことにやっと気づきはじめたのです。
クライアントの求める代表制は、サンプリング理論によるものではなく、施策の立案、結果検証が大きなブレがなく行えればよいというものです。
まして、統計理論に基づいた代表性の保証にお金も時間も使いません。
これからは、リサーチそのものの「中抜き」が激しくなります。
マーケティング担当自身が、ダイレクトにリサーチするようになります。もちろん、ネットを使って。
そういう状況のなかで、リサーチャーはどのような変貌をとげればよいのか。
精度よりもスピードを重視して変身していくことを迫られているようです。
2005,7