コラム

リサーチの神学論争Ⅲ

マーケティングリサーチは、わからない、まだ知られていない「事実」を測定することを目的とします。
この事実についての神学論争です。
岐阜の山奥のスーパーカミオカンデという巨大施設で「ニュートリノに質量がある」という事実が世界で初めて観測・測定されたそうです。
科学(宇宙線物理学)的には従来の理論の一部をひっくり返す、大変な「事実」らしいのですが個人的にもマーケティング的にもこの事実の「実感」はゼロです。
この時の機構長だった戸塚洋二氏は、ノーベル賞に最も近いといわれながら、癌からくる多臓器不全でこの7月に亡くなっています。
文芸春秋9月号によると戸塚博士は、亡くなるまでの約1年間、自分の闘病記録のブログを残したそうです。
その記事によると、(つまり、書かれたブログという事実にあたってからこれを書いていない)博士は科学者らしく自分の病気と療法を事実として観測・測定・記録を行っています。
さらに癌患者の闘病記録データベースを作るべきという提案もしています。
余命宣告まで受けているわけですから、癌≒「死」という事実だけは冷静な観測・測定は不可能で佐々木閑氏の仏教(古代仏教思想)に関する著作に強い関心をよせ、対談までしています。

例によって前フリが長すぎますが、ここに2種類の事実が見えています。
ニュートリノの観測のような事実と戸塚博士の闘病記録のような事実です。(仮に前者を第一種、後者を第二種の事実としておきます)
マーケティングリサーチの世界では第一種の事実の発見はほとんどありません。
我々は、市場とそれを構成する人間(多くは消費者)を観測・測定することをマーケティング・リサーチとしています。
市場を構成する製品、取引、市場参加者をどれだけ精度よく観察・測定しても市場を成り立たせている最小単位とその動きは発見できません。
さらに時間の経過によって観測結果が変化してしまいます。
「ポジショニングの測定」は、リサーチでおなじみのテーマです。
缶コーヒーのブランドポジショニングといっても、そのようなモノはどこにも存在しません。
リサーチ結果として出てくる(出してくる)だけで、「ニュートリノには質量がある」という事実と同じレベルで「生茶は伊右衛門に比べて本物感が弱い」という分析結果を事実とは言えません。
同じリサーチをおこなっても結果の再現性は保証されないし(追試ができない)、先月の調査と今月の調査で結果が違うのは当たり前だからです。

認知率、認知経路、シェア、購入意向、マインドシェア、ブランドイメージ、受容性、など新旧とりまぜてリサーチで測定すべき事実はたくさんありますが、「大発見」は起こりません。
「大発見=調査票・集計のミス」はよく起こりますが。
このようにリサーチの事実は、先の分類でいう「第二種の事実」になります。

2008,9

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