コラム

「デジタルデバイド」その後

最近はコトバさえ聞かなくなりましたが、デジタルデバイドということがマスコミをにぎわしたのは、ほんの1、2年前です。
ブロードバンド化が進行し始めた頃の話で、世の中のデジタル化の進行とともに、それに乗り遅れた(具体的にはPCリテラシーのない)人たちが「新たな差別」に会うという警世のコトバでした。
何故、このコトバは死語となったのでしょう。
もちろん、この数年で世の中の人が全てデジタル化に対応し、ネットおよびパソコンリテラシーを飛躍的に高めたという事実はありません。
ここで、デジタルデバイドをマスコミ批判ではなく、「消費者の変化」の視点で再考してみます。

このコトバの背景には、
① インターネットの高速化、廉価化(定額制)が急速に進む
② 生活全般(仕事=生産から日常生活=消費まで)がネットなしでは成り立たなくなる。
③ インターネットは地球規模でネットワークされる。
④ ネットにアクセスするにはパソコンが必要。
⑤ パソコンを扱えない人は多数(高齢者中心)存在する。
⑥ その人達は地球規模で「疎外」される。 という認識があったようです。

①のブロードバンド化は確かに急速に進行しました。
8月18日付けの新聞報道でYahooBBの加入者が300万人を突破したとありました。
グループインタビューの対象者に限ると6割以上がADSLや光に切り替えているようです。
そうした人は
  ・時間(料金)を気にせずつなげるので、ネットの時間が増えた。
  ・「調べもの」はとりあえず、ネット。(映画など各種イベント、旅行、お出かけ情報)
  ・通販やオークションに積極的になった。
  ・ニュースもネットで済ますので、新聞(の定期購読)を止めた。
  ・テレビ画面を見る時間が減った。(TV受像器を撤去し、リビングの中心にPCの液晶画面を据えたと いう人が最近のGIで1人いた。)
という生活の変化を実感しています。

ただ、②のような認識を持つ人は少数で、インターネットは、まだ生活のほんの一部でしょう。
仕事の場面では、確かに深刻なデバイドはあるようです。
事務系の仕事でキーボードリテラシーの低い人は疎外されています。
例え社長で、秘書がいたとしても、社内メールくらい自分で打てないとそれだけで能力が劣るというレッテルを貼られ兼ねません。
キーボードリテラシーとともにソフトウエアへの親和性リテラシーというべきものがあります。
普通のビジネスマンが使うソフトといえばアプリケーションソフトです。
そして、アプリケーションの開発者と使用者は違うのが普通です。
ですから使い勝手が悪いのが当たり前なのですが、ここで軋轢を感じて挫折する人も出ます。
カスタムメイドのアプリでもそうですから、一般的なWord、Excel、PowerPointなどでは馴染むのに時間がかかります。
ましてこれらは、日本語化されていてもコンセプトは英語文化圏のものですから違和感が倍増します。
このあたりのリテラシー習得が、業務経験の浅い若い人に有利なのは当然です。
リサーチの業界でもこの10年の間に報告書の体裁が大きく変化しました。(この辺のことは、また稿を改めます)

③は原理的な話でこれを実感しているビジネスマン、生活者は少数です。
日本では言語のデバイドが大きすぎて、自動翻訳ソフトが、もう数段充実しないと一般化しないと考えられます。

④の常識も崩れてきていますが、まだPCの必要性は高いようです。
ユビキタスは、まだ概念先行ですし、携帯の画面は小さすぎます。

⑤に関しては、すでに述べた一般ビジネスマンの世界では、自助努力でPCリテラシーを身につけるしかないのですが、世の中には日常業務でキーボードを必要としない業種も多いのです。
この世界では趣味としてPCにさわる人以外はリテラシーは基本的に育ちません。
また、訓練を強いるキーボード入力意外の入力方法にも限界があると考えます。
手書き入力、音声入力が完璧になってもアプリケーションソフト(ネットでいえば検索プロトコル)への親和性の困難は残ります。
キーボードリテラシーだけなら、年齢に関係なく本人の関心度と、一定の集中力を継続できる訓練を受けていれば誰でも克服できるのです。

従って、⑥のようなことは起こりません。 インターネットと消費生活、消費者意識の関係は今後も継続的に観察していきたいと考えています。

2003,8

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